私とKAT-TUNの14年間について本気出して考えてみた

久々の更新で相変わらず長いタイトル*1ですみません。お久しぶりです、よみです!

 

お察しの通り11/24の田口淳之介さんの件についてだいぶ触れる記事です。

 

中身もグダグダ長くてなんと1万字以上あります。まさかの「Myojo」超え。
ですので暇で暇で仕方ないときにでもどうぞ。
 
ただの懐古クソDDオタクのオチのよくわからない話なので、少しでも苦手そうな方は読まないことをお勧めします。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
  • 2015年11月24日。

 
この日、私は20何回目かの誕生日を迎えた。
 
そんな日に「ベストアーティスト2015」の放送はあった。
 
今の担当はジャニーズJr.だけど、根っからのジャニオタな私。
今年はジャニーズアイドルたちによる「LOVEメドレー」もあり、誕生日にこの番組でたくさんジャニーズが見れることをとても楽しみにしていた。
 
仕事をなんとか早く仕事を終わらせて一刻も早く帰ることだけを考えて帰宅。
録画と同時進行で容量を全て空けおわり、やっと夕飯代わりの誕生日ケーキを食べながら『これから「ベストアーティスト2015」を全力で楽しむぞ!』となったのが20時すぎ。
 
その20分ほど後にKAT-TUNからのお知らせはあった。
 
 
最初は突然神妙な面持ちで重大なお話があるというから、『いやいや真面目な顔してるけど、どうせ10周年コンサートのお知らせなんでしょ〜?!』と開催が既に決まっていた春のコンサートを楽しみにしていた私は思った。
だけどすぐにみんなの様子がおかしいこともわかって、その瞬間すごく嫌な予感が自分の中で駆け巡った。
 
 
 
 

『僕、田口淳之介は来年の春をもちましてKAT-TUNを離れ、ジャニーズ事務所を退所することとなりました。』

 

 
 
 
 
淡々と、確実に伝えられていく言葉が理解できなかった。
田口さんのコメントも亀梨さんが震えながら毅然と話すコメントも、何もかもが頭で処理できなくて。意味がわからなかった。
 
目の前に映るみんなが歌声が表情が私の知ってるみんなとは違う人みたいで、全部が遠く感じて頭が追いつかなくて、ただただ涙が止まらなくなった。
 
 
気がつけば楽しみにしていた「LOVEメドレー」はこのあと、というネクストゲートの映像が入った。
 
楽しみにしていたKinKi Kidsも出るので、さっきの出来事は全て悪い夢だったことにして咄嗟に画面を見た。
だけど、そこに映った私の大好きな堂本剛さん表情は勘違いかもしれないけど、どこか憂いを帯びていて。
 
その瞬間に何故か『あ、じゅんのホントに辞めるんだ』と理解した。
 
頭で理解した途端、本当に色んな気力がなくなっていい歳なのに声出して泣いた。
 
泣いて疲れてもうテレビ消して寝たかったけど、次の「LOVEメドレー」で出てきたときには田口さんが『冗談だよ〜!』と笑って出てきてくれるかと思って、結局次のKAT-TUNの出番までつけてたけど結果が変わることはなく、テレビを消した。
 
公式コメントを読んでも、彼がいなくなってしまう理由はわからなかった。
ツイッターで何か他に情報がないのかと探してもただオタクたちの悲しみや怒りを目にするだけで何もわからなかった。
 
こんな気持ちでも明日はまた仕事がある。朝起きたら全部夢だったらいいのにと泣きながら寝た。
 
 
 
そうして私の20数回目で一番悲しい誕生日が終わった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

こんなに胸にぽっかりと空いたような気持ちは、三度目にして最大級のものだった。

自分にとってKAT-TUNはずっと「私の大好きなKAT-TUN」だった。
でも「私の大好きなKAT-TUN」ってなんだったんだろうってあの夜からずっと考えていた。
 
 
 
多くの人が知ってると思うがKAT-TUNは2001年に堂本光一さんのバックとして結成された。
当時、KinKi Kidsと嵐が好きだった私はKAT-TUNの結成を自然と知ることができたが、それまでジャニーズJr.には「自分の好きなアイドル」として興味を持ったことがなかったので、たくさんいたJr.も正直名前と顔が一致するのも数人しかいなかった。
だからKAT-TUNになった子達も最初は全員はわからなかったけど、私KAT-TUNの出会いはそこからだった。
 
彼らが出演する「ポップジャム」を見ることは日常だったし、ジャニーズJr.が出演する番組も機会があれば見ていたし、雑誌も読んでいたので少しずつKAT-TUNというグループやメンバーを目にする機会が増えた。
 
そしてあれはおそらくKAT-TUNが初めて「Wink Up」2001年6月号で表紙を飾った少し後の頃だったと思う。
きちんとひとりひとりと向き合ったことがなかったKAT-TUNだけど、ふとよく見たらKAT-TUNの中に「王子様」がいることに気がついた。
 
それが当時15歳の田口淳之介さんだった。
 
私が同時進行で好きだった「テニスの王子様」の『不二周助先輩みたいでかっこいい!』と思った。
むしろ未だに15歳の田口さんが演じる不二周助先輩が見たいと思ってる。
 
それからすっかりファンになってしまった私が田口淳之介さんのことを「じゅんの」と呼び、積極的に応援するようになるにはそう時間はかからなかった。
その熱狂ぶりは私以上にジャニーズJr.のことなんて全くわからなかった家族も「じゅんの」のこと、KAT-TUNというメンバーの頭文字をとったグループのメンバーであることを覚えてくれた。
 
初めて応援するジャニーズJr.の世界はデビュー組のように安心感が必ずあるわけじゃなかったけど、KAT-TUNは今でいう推されだったんだと思うが、露出も多く、目に見えてどんどん実力と人気をつける彼らは応援し甲斐がとてもあって、私はいつでも彼らを『応援したい!』という気持ちに溢れていた。彼らが着実に上へ昇って行く姿を見ることができるのが本当に嬉しかった。
私の誰かを応援する上での大前提、「日々成長する人々を見守る」この感情が生まれたもここからだった。
 
初めてファンレターを出したのも田口淳之介さんだった。
読んでもらえたかどうかも、届いたかすらもわからないけど、それは私にとって正真正銘、初めてのファンレターだった。
 
どんどん田口さんをKAT-TUNを好きになっていった私はいつしか、KinKi Kidsよりも嵐よりもKAT-TUNのことが一番に好きになっていた。
 
そして田口さんのファンから、みんなひっくるめてKAT-TUNが好き!っていう時期を経て2004年くらいに気づいたら中丸雄一さんが一番になっていたので中丸担を名乗るようになったし、KAT-TUNの話をするときはだいたい中丸担だった話をしている。
それからもKAT-TUNのことがみんな大好きなのは変わらなかったしその気持ちはもっと加速した。
 
KAT-TUNはいつでも最強で最高で、「絶対デビューできる」と思っていた。
そのときはデビューさえすればジャニーズアイドルは諸先輩方のようにアイドルのトップに立てて安泰なのだと思っていたからだ。
 
2005年にKAT-TUNが「ごくせん 第2シリーズ」に亀梨和也さんと赤西仁さんが出演したことをきっかけとし、爆発的人気を迎えた。所謂「ごく出」がたくさん生まれたときである。
 
正直その時は『今更かっこいいとか気付かれても元々みんなかっこいいし…』と思っていたし、すでに学校では有名なKAT-TUNオタだったので、周りからKAT-TUNのことをよく聞かれた。
その度に『KAT-TUNは前から人気があってテレビも出てるし雑誌も出てるしユニット曲もソロ曲もあって作詞作曲できる子がいてコントできる子たちがいてコンサートも単独でできてツアーも回っていたから!より人気者になっただけだから!個性が強すぎるところが個性です!とりあえず少クラ見て!(早口)』と言うようなことをいつも言っていた。
 
ファンとしてはKAT-TUNがかっこいいのも人気があるのも当たり前だったので好きな感覚は変わらなかったが、どんどん売れていく彼らが誇らしかった。
 
2005年後半には色んなことがあり、不安になることもあったが翌年の2006年にKAT-TUNは無事デビューを果たした。
ずっと信じて応援していたから心から嬉しかった。
あとはもう他の先輩アイドル達のように輝かしい未来しかないんだと思って安心した。
 
デビュー組ジャニーズアイドルのステータスとして念願の「24時間テレビ」のメインパーソナリティーを務めたのあとに赤西仁さんが留学することになった。
彼がこのまま戻ってこないのではないかという不安もあったし、何よりも6人が大好きだったので、5人での活動を見るのは本当につらくてCDを買うこともドラマを見ることもできなかった。
 
彼が帰ってきてまた6人を応援できることの喜びも感じていて応援していたけど、彼がソロ活動へ旅立ったときはどこかで「覚悟」ができていた。だから泣いたし寂しかったし引きずったけど、どこかで受け入れていた。
その頃には私にも好きなものが他にもあったし、やっぱり「6人」が好きだったこともあり、このあたりでKAT-TUNファンとしての一線を退いた。
 
5人にも見慣れた頃に、テレビで見かけた田口さんはやっぱりかっこいいなあと思うようになった。『今コンサートに行ってうちわ持つなら田口さんだな』とジャニオタ的予想も浮かんだ。
 
 そんな頃、KAT-TUNは4人になってしまった。
 
このとき脱退した田中聖さんは度重なるルール違反をしていて、それはメンバーもファンも裏切る行為で、契約を解除されたことも、ファンから怒りを向けられたことも仕方がなかったと思う。
でも私は彼を嫌いにはなれなかった。
それは、私がしばらく離れたところから見ていたからというのもあると思う。でも彼が優しくてかっこよくて素敵だったこともたくさん知っていたから。
もちろん彼だけじゃなく、その前に抜けた彼のことも好きだった。
 
4人になって寂しさはあったけど、今までともまた違うかっこよさがあったし、よりファンを大切にしてくれていることもとてもよくわかった。
何よりも後に担当した中丸さんより、田口さんにかっこいいなあと見るたびときめきを感じていた。(中丸さんごめん)
『4人のKAT-TUNのこと少しずつ応援していきたいな』と思っていたし、今年初めの「ザ少年倶楽部プレミアム」でのNEWSとのコラボは新しい扉を開いた両グループが本当に素敵で素敵でたまらなくて勢いでブログも書いたくらいだった。
 
今年こそはコンサートも行こうと思っていたものの、今年開催されたコンサートは予定が合わなかった。
きっと来年は10周年だからコンサートがあるはず。
そして先月春のコンサートのお知らせがきて、期待しかないこの予告はとても楽しみで。楽しみで。楽しみで。
 
京セラのカウントダウンコンサートがなくなったのも、きっと若手を伸ばすためだと思ってたし。
カウントダウンコンサートで祝われるのが20周年にまだ達してないKinKi Kidsなのも、KAT-TUNは何かサプライズ的な感じで10周年のお知らせがあることをずっと待っていた。
 
 
こんなお知らせを待っていたわけじゃない。
 
 
もちろん私はずっとずっと応援していたわけではないので、言える権利はないのだと思う。.
 
でもKAT-TUNは最高で最強だった。
でもずっと「私の大好きなKAT-TUN」というポジションは、当たり前だけどずっとKAT-TUNのままなのだ。2回の脱退を乗り越えて形を変えてもずっとずっとKAT-TUNは最強で最高のままあり続けると思っていた。
 
先輩にも勝てると思っていたし、彼らに憧れる後輩が次々デビューして、Jr.担してる今でも見回したところで、自担には申し訳ないけど、私にとって最高で最強のKAT-TUNを超える存在は未だに誰もいないと思っている。
 
『ずっと側にあったモノが突然消えてしまったのなら』*2
私はこの歌詞の意味をKAT-TUNを好きになったきっかけをくれた田口さんを失うことになってから初めて考えたのだった。
 
 
 
 
  • 「好きこそオタクの上手なれ」?
 
あの夜、私は「私の大好きなKAT-TUN」こそが夢だったのかもしれない、とすら思う程に田口さんを失うことにただ悲観していた。
 
 
翌日になってもあの悪夢は夢ではなく現実で、悲しくて悲しくてふとしたことで泣きそうになったし、仕事中も好きになったときからの田口さんをたくさん考えた。コインパーキングの「入口」という文字を見ることですら泣いた。
  
こんなに悲しいのは、私が決して田口さんを嫌いになって、KAT-TUNを嫌いになって担当を離れたからではないからだ。他の歴代担当もだけど、嫌いになって降りた人なんて一人もいない。 
 
 
抜け殻のような気持ちで眺めるジャニーズの他のグループのキラキラがどれも眩しくて、日々目まぐるしく楽しいお知らせがあって。それに沸くファンたちもみんなキラキラしていて。
 
取り残されたように落ち込んでいる自分は、そんなキラキラについていけなくて押しつぶされそうだった。
 
私の誰かを応援する上での気持ちは前述にもあるように「日々成長する人々を見守る」である。
 
他の子たちは急にいなくなったりしないとわかっているけど、 今までどうやってジャニーズを見守り応援して楽しんでいたのかわからなくて、根っからのジャニオタのくせにもうこんなにつらいならオタクをやめたいと思った。
 
 
だけど今回ウジウジ落ち込んでわかったこともあった。
 
「私の大好きなKAT-TUN」を私は忘れることも、嫌いになることもできないということだった。
 
KAT-TUNは最高で最強。それが例え過去のことで、とっくに終わったことだったとしても。5人、4人、3人と形は変わっても。ソロになっても。事務所を辞めても。
美化されてる部分もあるだろうけど、私が青春をたくさん費やしたみんなは、無駄な時間なんて一秒もない紛れもなく最強のアイドルだった。
 
よく友達との会話で冗談まじりに自担や他の若手に『KAT-TUNを超えてほしい』と言うことがあったが、超えられることはないのだと思う。だってKAT-TUNKAT-TUNしかいないし、自担は自担しかいないのだ。
 
田口さんの「一身上の都合」は、もしかしたら深く知ったらもっと悲しいことなのかもしれない。彼が今後どのくらいお話してくれるのかわからないけど、田口さんが発してくれる言葉たちは全て受け止めたいと思う。
きっと彼を嫌いになることはないとわかるし、もちろんずっとKAT-TUNを守ってくれてこれからも守ってくれるであろう亀梨和也さん、上田竜也さん、中丸雄一さんの3人のことも大好きだ。
 
彼らは個性が強すぎて私や世間、事務所の思い描いたアイドルにはならなかったのかもしれない。でもやっぱりそんなところがKAT-TUNらしくて大好きだなあと思った。
 
「好きこそものの上手なれ」というけれど、まさに「好きこそオタクの上手なれ」ということなのだと思う。オタクが上手ってなんだよって感じではあるが。
この刷り込まれ続けた大好きだという気持ちは決して変えられないことを素直に受け入れることで、少し気持ちが軽くなったような気がした。
 
 
 
 
  •  「私の大好きなKAT-TUN」とはなんだったのか
 
それから勇気を出して、録画を再生してもう一度あの瞬間のKAT-TUNを見た。
 
やっぱりつらくてさみしくて泣いたけど、誰のこともやっぱり大好きで。
この数日で散々「私の大好きなKAT-TUN」について考えた。
 
「私の大好きなKAT-TUN」はもういないのかもしれないけれど、ちゃんと受け入れることで、『震える末っ子の肩に背負われたKAT-TUNにはきっと「私の大好きなKAT-TUN」がいるんだ』と思った。
 
そして不思議とポジティブに『KAT-TUNを応援しよう!』という気持ちになった。
 
田口さんがいるまでの4人のKAT-TUN、そして3人のKAT-TUNKAT-TUNであり続ける限り応援したいと思ったし、解散はしないでほしい。
亀梨さんがファミリークラブで発したというこ言葉たちも信じていきたい。
 
この先、応援していく上で絶対泣いてしまうこともあるけど、「私の大好きなKAT-TUN」とこれからも向き合っていきたいと思った。
 
田口さんのことは、もしかしたら退所したらもう見ることはできないのかもしれないけど、何度も言うように先に抜けた二人と同じくずっと大好きなのだと思うし、どんな形であれ幸せになってほしい。むしろKAT-TUNで活動していた以上に幸せにならないと許さない(笑)
 
 
 
ダメージの大きさから、しばらく前のように元気にオタクをすることはできそうにはないけれど、気持ちが落ち着いてきたので、まずは行けなくて今年イチの後悔を生んでいるKAT-TUN LIVE 2015 "quarter" in TOKYO DOME」のDVDでも見ようと思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
あ、 
そして最後に一つだけ。
1オタクのわがままとしてきっと一生願うこと。
それはいつか何十年後かにまた6人が揃っているところが見たいということ。
傷付いてもいいから、そんな遠い未来を夢見ることだけは許してほしい。
 
 
 

 

 

 
 
 
 

*1:由来はKAT-TUNが2002年に単独で初めて「THE夜もヒッパレ」に出演したときに歌ったポルノグラフィティさんの「幸せについて本気出して考えてみた」からきています。

この曲を今聴くと歌詞的に泣けてきちゃうけど、とてもハッピーで元気も出ます

*2:Peacefuldays/KAT-TUNの歌詞より